糸。
母を見送りました。
一連の式にはビックリするぐらいたくさんの人達が集まってくれました。
世の中の潮流よりもずっと前時代的で保守的で変化を忌避するような地域で、女性、しかも相対的に外部と関わりの薄い専業主婦であった母が、父を含め近隣の人々誰もが驚くような数の人々に見送って頂いた。
感謝の念に堪えません。
父は「母さんは敵を作らない人だったからな」と笑っていました。
(まあそんな母も人の好き嫌いは相応にあったようですが)
ここでも一度話題にしましたが、母の病状は回復傾向にあり、それが故の今回の一件となってしまったようです。
端的に言うと母が受けた治療には相応にリスクがあり、そのリスクを拾ってしまったと言うわけです。
我々サイドは努めて楽観的に考えていたため完全に寝耳に水で、一通り見送りが済んで落ち着いた今もなお、正直なところ現実感に乏しいとさえ感じています。
ただ、すぐそばで母をずっと見守って来た父にとってはそうではないかも知れない。
母が去り灯火が消えたような我が家には老いた父と、故あって家を離れられない兄が残るばかり。
チェシャさんは大学を出て、その数年後に実家も出て、以来だいぶ長いこと自由気侭な暮らしを許してもらっていましたが、そろそろあの家に戻るときが来たかと思います。
差し当たっては完全に『他所の人』扱いされている飼い猫から信頼を勝ち取ることから始めなくてはなりません。
あと実家にいると周りの人々に影響され自然と訛りが酷くなります。
急なお休みを頂いたためおシゴト場と電話でやりとりする機会も相応にあったのですが、その際にうっかりと訛りが出て「おっと」となってしまうことが幾度かありました。
花瓶はカーネーション。
毎週花を活ける意味がひとつ増えてしまいました。